海外から「帰国引越し」をすることにしました
中国のとある州の州都に住んでいたことがあります。いわゆる「海外暮らし」です。
主人がそこで仕事をすることになったため、ついていくことにしたのです。
そこで暮らしていた間に出産もし、海外暮らしこその大変なこともたくさんあったものの、どちらかと言うと楽しいことの方が多かったかなと思います。
そんな思い出いっぱいの生活は2年弱で終わることになりました。
でも、帰国するべく荷物をまとめていた期間も、やはり大変だけど楽しい時間だったかもしれません。荷造り、辛いこともあったんですけどね。
海外での引越しは自力で……
日本人がたくさん居住している大都市であれば、日本の引越し業者の支社があり、お願いすることもできるのですが、何しろ当時日本人居住者は40人前後と聞いており、女性は私(あ、あと娘も)だけだったのではないでしょうか。
そんなでしたから、海外といえども、自分達で何とかするしかなく。
荷物を日本に送る手段としては、郵便局のEMSを利用するしかなかったので、極力荷物を整理し、「処分できるものは処分する」を徹底しました。
それで惜しいものも捨ててしまって、後悔もあったのですが。
海外で仕方なく処分したのは……
海外で処分したもののひとつに日本の雑誌がありました。主人が日経ビジネスを結婚前から購読していて、海外に行っても続けたいとのことで、毎号送ってもらう契約をしていて、その2年弱分があったのです。
主人は日本でとっていた分は実家に保管していたので、それらを処分することにすごく抵抗があったのですが、書物は重いですからね……。
処分、と言っても、ただ捨てた訳ではありません。
海外特有って感じですが、中国では、紙ゴミを売れるのです。
段ボールや書籍などの紙ゴミやプラスチックボトルやびん・缶などの資源ゴミを買い取ってくれる業者があります。
「業者」と言っても、大きな会社ではなく、電動のリヤカーに乗ってマンションの敷地内を周回しているんですよね。で、ゴミを売りたい時は窓から呼び止めて玄関先まで来てもらいます。
ただ、私達は何と呼び掛ければいいのかわからないので、よく彼らが通りそうな時間に外へ出て、見掛けたら手招きする、ということをやっていました。
引越し前にも、その手を使うべくマンションを出て彼らがいそうなところまで出向いて待ち伏せしていました。
やってきたのは30歳くらいの女性。ゆるゆるとリヤカーを運転してきたのを呼び止め、筆談をまじえながら部屋まで来てほしい旨を説明。
荷台に乗せてもらって部屋に向かいました。
ゆったりと時間が流れている、暖かで穏やかな日でした。
海外での、ほっとする思い出です。